
第2回 岩野 賢さん(川本町・谷)
川本町の谷でタイヤ業を営んでおられる岩野賢さん(46歳)。大学を卒業後、川本へ戻ってきた。戻ってすぐに周りからの誘いもあり、江川太鼓へ参加した。

岩野さんと江川太鼓との出会いは小学6年生の頃まで遡る。昭和48年、当時大人たちで結成されていた江川太鼓に少年江川太鼓結成の募集があった。小・中学校を対象としたもので、岩野さんは入団を決意した。
「自分には楽器などの演奏が出来ないコンプレックスがあった。太鼓を叩くことなら自分にも出来ると思い入団した。人前に出ることも嫌いじゃなかった。」
そして大学卒業後、川本へ、江川太鼓へ戻った。
しかし、自分の周りは年上のメンバーばかり。若い世代は自分しかおらず、同世代を引っ張ったり、続けていくのにいくつかの障害もあった。それでも岩野さんは、こう語る。
「太鼓を通じて物事が、人とのつながりが広がった。」
江川太鼓同好会は現在、24〜25名が在籍。女性や川本高校の有志達、町外からのメンバーも一緒に活動しており、若い世代にも太鼓の魅力・技術が受け継がれている。
さらに、ヨーロッパを中心とした海外との交流も深めており、お互いの国を行き来しては公演を行なっている。
>>江川太鼓も出演する『2007ええなぁまつりかわもと』

江川太鼓の活動の他に、昔なつかしの“あげぱん”の移動販売を行なっている。元々パン好きで、昨年、なにかと話題になった『団塊世代』という言葉を聞いていた時、無性に“あげぱん”が食べたくなったのだと言う。
それからインターネットで検索し、ある東京のお店を見つけフランチャイズ契約を結んだ。営業用に中古車を探し、東京に送って改造してもらい、保健や営業の許可を取った。島根県内であれば、どこへでも行ける。
休日やイベント時には、町内外の各所へ行き、あげぱんを売っている。
「休みは無いが、好きなものはいくらやっても苦ではない。」

今年にはドイツの吹奏楽団が川本で、来年には江川太鼓と神楽団がデンマークで公演を行なう事になっている。
海外へ行く時も来てもらった時も、宿泊は基本的にホームステイ。ホテルの宿泊では味気なく、その家庭へ入ることで互いの理解や絆を深めることができるのだ。
「まだ、ドイツへ太鼓しか紹介していない。もっと川本の神楽など芸能を広く紹介したい。」
また、「世の中狭いなぁ〜と思った。」というエピソードを伺った。
ALT(Assistant Language Teacher)として川本町へ1人の女性が来ている。
彼女はドイツ出身で、川本へ来る前にドイツで日本語学校へ通っていた。そんな彼女が日本語学校の先生に日本へ行くことを告げると、どこへ行くのかという話題になった。彼女は島根だ、川本だと先生には分からないだろうと思いながら話すと、先生は「私はそこへ行ったことがある」。そして、「川本へ行ったら、まず岩野という人に会いに行きなさい」と。
そう。この日本語学校の先生こそインターネットへ書き込み、江川太鼓がドイツへ行くキッカケとなったその人だったのだ。
『逆境の中には大きな利益の種子が含まれている』
岩野さんの好きな言葉だ。
郷土芸能を通じた人々との交流、太鼓を通じて広がった世界との交流。今後も、岩野さんの“つながり”はさらに広く強いものになっていくだろう。 |