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●獏の町川本
 
 
獏の顔がかかれた不思議な珍宝
川本町の山奥、湯谷温泉が沸き出る弥山荘から1分歩くと長江寺という寺がある。この地を治めた小笠原氏の菩提寺だ。この長江寺には、「獏頭(ばくとう)の玉枕(ぎょくちん)」といわれる獏の顔がかかれた不思議な珍宝がある。

この獏頭の玉枕がある川本では、獏が悪夢や悩みを喰らい、良い夢を叶えてくれると言われている。
>>長江寺
長江寺の「獏の珍宝」
時は室町時代〜戦国時代、室町幕府の8代将軍足利義政のときに戦国時代のきっかけともいわれる「応仁の乱」(1467年)が勃発。室町幕府管領の細川勝元と山名持豊ら有力大名らが京都を主戦場に全国で争そうこととなった。

細川勝元と山名持豊の死後、家督を継いだ細川政元と山名政豊とで和睦を講じ、応仁の乱は終結した。その後、室町幕府の実権を掌握した管領の細川政元は、1493年「明応の政変」をおこし、10代将軍足利義材を京都より追放した。追放された10代将軍足利義材は、諸国を転々としながら再起を図り、1508年に周防・長門の守護大名である大内義興の支援を得て中国・九州地方の軍団とともに上洛を開始し、1511年に船岡山の戦いで細川勢を打ち破り帰京を果たし、足利義稙と改名し、室町幕府12代将軍となった。

この頃、川本の町は、石見の国人である小笠原氏によって治められていた。12代当主小笠原長隆は1508年の大内義興の上洛戦に参戦、上洛勢の一翼を担い上洛し、御所の警護を務めた。これらの功績により長隆は将軍職に返り咲いた足利義稙より従五位下・上総介を授かった。その際に拝領した褒美の品の一つが長江寺にある「獏頭の玉枕」ではないかといわれている。

余談ではあるが、小笠原長隆は、川本町のとなりにある大田市の世界遺産登録をされた石見大森銀山を攻め、管理していたこともある。この石見銀山を巡る攻防戦で傷ついた武士たちは、湯谷温泉で傷を癒したと言われている。
>>石見銀山観光 >>湯谷温泉-弥山荘
獏とバク
獏(バク)には、マレーバク、アメリカバクといった実在する動物としてのバク、
悪夢を喰うといわれている伝説の獏がある。
獏頭の玉枕がある川本には、悪夢を喰うといわれる伝説の獏がいる。
獏の伝説
今よりはるか昔、中国の戦国時代から秦、漢期(紀元前403年〜220年頃)にかけて
中国最古の地理書である山海経(せんがいきょう)が作成された。
山海経には、中国各地の動植物や鉱物が記されていた。
その中には、妖怪や神々の記述も多く含まれており、その霊獣の一つとして獏の紹介がある。

古代中国では、「睡眠中に魂が遊離する」と考えられており、魂が悪霊にさらわれないように、
寝室や枕辺に悪霊を祓う神獣が置かれたといわれている。
特に、永遠の眠りにつくとされる死者は、さらなる強力な守護獣を
枕元におく必要があり、その守護獣が獏だったといわれている。

中国では、獏は不思議な力を持つ動物として、その毛皮を敷いて寝れば湿気を避け、
疫病を防ぐことができ、全ての邪気を避けるとされ、唐代には屏風に描かれたともいわれている。

また、タイでは、獏は釈迦の乗り物だといわれ、ブラジルでは、
サシイという小妖怪が背にのり、虹の橋を渡って天界へ行く霊獣ともいわれている。
日本と獏の伝説
獏の伝説は、中国から日本に伝わり、日本では、室町時代から悪夢を
はらうという霊獣として民衆の間にも伝説が広がった。
「獏の絵を枕の下において寝ると獏が悪夢を喰らい吉夢を見せる」
と信じられたり、正月や節分の夜の守りとして宝船の帆に「獏」と書いたり、
大名家等の寝室の襖や屏風にも獏が描かれたといわれている。

悪夢にうなされた朝に「ゆうべの夢は獏にあげます!」と3回唱えると
その悪夢から逃れられるなどの風習も日本各地に残っている。

他にも、獏の枕で寝ると3日先を予知できるなどの伝説がある。

こういった時代背景から考えると、小笠原長隆が室町幕府12代将軍足利義稙から拝領した「獏頭の玉枕」は大変貴重な縁起物だったと考えられる。
時の権力者と獏
■豊臣秀吉と獏の枕
戦国時代、百姓より身をおこし、信長のもとで立身出世を繰り返し、信長の没後には、
天下統一を果たし、関白・太政大臣までのぼりつめた豊臣秀吉。
様々な悪夢・悩みを抱え、様々な夢を叶えた豊臣秀吉は、獏の枕を愛用していたとされている。
豊臣秀吉を祭った豊国神社の境内には宝物館があり、有名な千成瓢箪とともに獏の枕も展示されている。

余談ながら、豊臣秀吉の正室である「ねね」(後の北の政所)も獏の枕を所有していた。
豊臣秀吉を弔うために徳川家康の援助を受け、
北の政所が創建した高台寺には、「獏(ばく)描絵辻カ花染枕」という
悪い夢を食べる想像上の動物「獏」が、枕の絹布に墨で描かれている枕がある。

■徳川家康と獏

豊臣の時代を終わらせ、江戸時代を築き上げた徳川家康。
この徳川家康の霊をまつる日光東照宮の拝殿内部には、仕切りの杉戸がある。
この杉戸では、昼の守りとされる竹に麒麟と、夜の守護である唐木と獏、
その裏面には獅子が狩野探幽の筆で描かれている。

■後陽成天皇 第107代天皇(1586〜1611) 
初夢にまつわるエピソードではあるが、後陽成天皇が花園実久朝臣に命じて、
宝船絵を描かせ、天皇おん自ら船の帆に「獏」の一字を書かせられ、
手づから彫刻してこれを刷らせられ、大晦日の夜、
宿直(とのい)の近臣に下賜されたと言われている。
近臣達は、吉夢を念じつつ、これを枕の下に置いて寝たと言われている。

翌朝、吉夢を見たものは、祈願成就と喜び、悪い夢を見た人は、
「獏よ悪夢を喰え」と三回言ったといういわれがある。
 

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